初めであり、終わりである方

 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最期の者。初めであり、終わりである。(ヨハネの黙示録22章13節)
                   
 今年も最後の主日礼拝の時を迎えました。この1年の間に起きた出来事を振り返ってみると、毎年感じることでありますが、楽しいことや心安らぐニュースよりも、悲しい出来事、痛ましい事件や心騒ぐような不穏なニュースの方が圧倒的であったことを否定できません。私たちの個人的な生活の中にも、病気や身内の方の死という痛みを覚え、また将来に対する大きな不安を抱えて、日々、戸惑い苦しむ経験をされた方も決して少なくはなかったのでは、と思います。

 そういう私たちの痛み苦しみの絶えない世界に、神の御子イエス様が人として生まれ、私たちの味わう人生の苦しみ悲しみ痛みを、ご自身の肉体を通して共に担い共に泣き悲しむ方としてやって来られた、それがクリスマスの出来事でありました。それは天地創造の時から、神様がこの世界のすべての者を救うために定められていた最終目標のために御子を遣わされるという、永遠の誓いの成就であったと言えます。

 御子は「初めの者であり、終わりである」と聖書は告げています。天地創造の前より、父なる神と共に世界の創造に関わっておられた方は、またこの世界の終末にもかならずやって来られてすべての者を裁き治められる、そのようなこの世界の初めに責任を持っておられる方が最後までこの世界に全責任を持って、世の終わりにも関わられるのであります。

 私たちの人生も初めがあり終わりがあります。しかし、私たちがその自分の人生に初めから終わりまで責任を持つことは決して出来ません。私たちは自分の生まれる時代も場所も選ぶことは出来ず、また自分の寿命も最後の時も知りません。「どこから来てどこへ行くのかも知らない」のです。ある人がいうように、夜空の雪が窓からの光を受け一瞬輝いてはまた暗闇に沈んでいく、そのような移ろいの中に生きざるを得ないのが人間の限界ある人生です。

 しかし、その一人一々の人生に永遠の命の価値があることを、御子イエスはお示しになりました。私たちの痛みと苦しみの絶えない世界に、やがてそれが喜びと感謝に満ちる世界へと変えられることを約束される、その唯一の保証をクリスマスからイースターへの生涯を通し、はっきりと現してくださったのが主イエスという方なのです。この1年も私たちには、この世界の現実は人間の罪と愚かさのゆえに滅んでいくしかない絶望的な状況に向かいつつあるように映ります。しかし、神様の目には「初めから終わりまで」救いの計画の進行しつつある世界、主イエスが最も終わりの責任を果たす方となるその時を待っている世界として映っているのです。

 今年は1月1日に主日礼拝を始め、今日、12月31日に1年最後の礼拝の時を迎えました。この1年間、この世界がどれほど罪や過ちの支配する状況が続いた日々であったとしても、主の救いの御手が初めから終わりまでこの世界をしっかりと握っておられる、その確信をもって新たな1年も主を見上げつつ歩みましょう。
(2017年12月31日週報より)