わたしは既に世に勝っている

 ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。(マタイによる福音書2章22~23節)
                   
 毎年恒例になっている今年1年を現す漢字一文字が、京都の清水寺で公開されました。それは「北」という漢字でした。北朝鮮が繰り返し弾道ミサイルを発射し、数々の挑発行為によってアメリカとの対立を深めて、日本もやがて戦争に巻き込まれてしまうのではないかという不安が私たちの上に重くのしかかった1年であったことを思い返す一文字でした。その一文字を書いた清水寺の僧侶の方は「北」という文字は人と人とが背中を向けあう形だという説明をされました。人と人が背中を向けあうような憎しみによってこの世界を支配され動かされていることを否定することが出来ない、そのような不安に日々脅かされているというのが私たちの現実であります。

 また、ある人は北という漢字は「敗北」という表現があるように、戦いに負けた者が北へ逃げる、そのような敗北者が落ちのびて行く方向を示していると言っています。マタイによる福音書が記しているクリスマスの記事には、幼子イエス様が誕生したその直後、ユダヤを支配していたヘロデ王によってベツレヘム周辺の2歳以下の子供たちが皆殺しにされたという悲惨な出来事が描かれています。そのヘロデの殺意を夢のお告げで知った父ヨセフはイエス様を連れてエジプトへ逃れ、難民としてヘロデが死ぬまでそこに留まったとあります。そして、やがてヘロデの死後ユダヤに帰って来ましたが、ヘロデの後継者が続いてユダヤの王となっていることを恐れ、ガリラヤのナザレという町へと引きこもったのでありました。

 このようにイエス様はその誕生した瞬間から難民として落ちのび、安心して生きることも出来ない放浪者として育ち、やがてイスラエルの北の果て「異邦人のガリラヤ」と呼ばれるところに引きこもるように住んだ方でありました。このように、イエス様も人と人とが憎しみや敵意によって背中を向け合う世界に「敗北者」として追われて生きる、無力で弱い人間の一人としてやってこられたのです。

 しかし、この無力で弱い「敗北者」のようにこの世に来られた方は、やがてこの世の力を誇り、その力に執着し、その力ゆえにおごり高ぶり争い合う世界に、神様の真実の愛を伝え、十字架によってすべての人間の罪を贖う救いの御業を現す者となられたのです。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16章33節)  主イエスは、この世では無力で弱さを負う敗北者として生き、十字架の死にいたるまで、決して力によって人を支配することをされなかったのです。しかし、そのような方であるからこそ、常にこの世の力と力で対立し合い背を向け合うような世界の中で、支配され動かされていく私たち一人一々の苦しみや弱さや不安を誰よりもわかって下さり、共に負って下さる方として、いつも共にいてくださるのだと思います。既に、イエス様は「世に勝った」方として、共におられる、私たちをどのような不安からも解放される方として愛を携え再びやって来て下さる。私たちはそのような愛と赦しによって「勝利された」イエス様を喜びをもって迎える者として生きましょう。
(2017年12月17日週報より)