思い通りにならない人生を、思いがけない恵みに満たされる

 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。(フィリピの信徒への手紙3章8節)
                   
 今年89歳で天に召された渡辺和子さんというカトリックのシスターが、その著作の中に「挫折のすすめ」という文章を書いておられます。「人生はいつも第一志望ばかりが叶えられるものではない。そして必ずしも第一志望の道を歩むことだけが自分にとって最良とは言えない」と。渡辺和子さんは、幼い時、父親の転勤で各地を転々とし、そのため幼稚園にも入ることが出来なかったそうです。また小学校も当時の名家の子女が通う学習院に入るつもりが落ちてしまい、他の小学校へ通わざる得なくなったといいます。またミッションの高等女学校を卒業し、国立の名門御茶ノ水女子大を受験しますが、これも不合格でカトリックの専門学校へ行くことになったのでした。そのような挫折の繰り返しの中で、やがて修道院に入りシスターになることを希望するようになった渡辺和子さんは、フランスまで行って自分の母校の修道会のシスターになる準備をしたそうです。ただ、女手一つで自分を育ててくれた母親と別れてシスターの道に進むことにためらいがあったため、ようやく決心がついたのはシスターに志願するにはギリギリの29歳の時であったということでした。しかし、その時、自分に目をかけていてくれたフランス人のシスターが母国へ帰ってしまい、面接を受け持ったのが初対面の日本人シスターであったため、年齢のことや、化粧服装まで「シスターになるには相応しくない」と、けんもほろろの対応をされ、渡辺和子さんも反発してシスターへの道を断念することになります。

 しかしその後、知人のすすめで、今まで見たこともないノートルダム修道会に入ることがゆるされ、その修道会の学校に教師として勤めるようになったことから、後にはその学校の学長という立場にまでなるほど、教育者としての道を全うされるようになっていかれたのです。それは、渡辺和子さん自身が当初は思ってもみなかった道であったということです。このように人生には自分の思い通りにはいかない「挫折」の時がたびたびありますが、それを不運と考えるか、それともその挫折を通して新たな道へと自分が導かれていると受けとめるのか、その違いが人生を大きく左右することになるのです。

 初代教会のパウロも、選びの民イスラエル人としてその出自を誇り、律法主義者として完全であることを誇り、熱心に神様に仕える者として教会を迫害するまでになった、その自分の正しさを誇りとして生きてきた人でした。そのように自ら多くのものを誇りとし、それを自分が神様の前に認められる条件と信じていたパウロが、しかし復活のイエス様との出会いによって、今までの誇りも信念も根本からひっくり返される「挫折」をあじわったのでした。「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに」自分が今まで誇りとし自慢としていた一切のものを「損失」であったとまで言うようになったのです。自分にとって思い通りにならない人生も、ひっくり返せば主イエスの愛によって思いがけない恵みに満たされ、自分の思いを越えたすばらしい道へと導かれる人生なのだと言えるのです。
(2017年9月10日週報より)