何よりも優先すべきこと

 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。(マルコによる福音書12章31節)
                   
 今から100年前、第一次世界大戦で日本軍の捕虜となったドイツ兵が、徳島の板東というところへ収容されていました。そのドイツ人捕虜の人たちが、収容所の中でオーケストラを編成し、ベートベンの第九を日本で初めて演奏したという話は有名です。昨年、その板東俘虜収容所の跡地に建てられたドイツ館というところへ出かけたおり、その近くの神社にドイツ橋と呼ばれる、小さな石組みの橋があることを知りました。それはドイツ人捕虜の人たちが、町の人たちのために進んで造った橋であるということでした。この収容所の所長となった人は、ドイツ人捕虜に対して大変深い理解を示した人であったと言います。何よりも、捕虜であるドイツ兵を一個の人間として見るという姿勢を持ち、彼らの誇りや自尊心を大切にすることを重んじたということです。

 そのエピソードの一つに、ドイツ人捕虜の人たちが「海水浴をしたい」と申し出た時、本来なら屋外に出すことすら脱走の危険があり、ましてや海に出れば泳いで逃亡する機会を与えるため、絶対許されないその申し出を、所長は「捕虜の足を洗う」という理由をつけて許可したという話がありました。捕虜を見張らなければならないという立場にあって、その所長は、戦争が終われば、ドイツ人も日本人も一個の人間として何ら変わりない愛すべき隣人だという信念のもと、お互いに人と人として接し合うことを何よりも優先したのです。

 「隣人を愛しなさい」とイエス様は教えられました。それは、それにまさる掟はほかにない、というほどに何よりも優先すべき掟として語られた言葉でした。その掟は「神を愛する」という第一の掟に次いで第二の掟として語られたものですが、その第一と第二という順番は、どちらが重いとか軽いとか、優先順位を示すものではありません。第一の掟なしに第二の掟はなく、第二の掟を軽んじて第一の掟を重んじることは出来ない、ちょうど天秤の両端に同じ重さの重りを置いてぴったりとバランスがとれるように、両方が共に何よりも大切な掟だということです。

 人を人として扱わない、政治的理由で外国人を差別し排除する社会や、経済優先利益優先のために荷重な労働を押し付け、人を自殺にまで追いやる社会は、戦争で国家が人間を羽毛のごとき軽い存在として扱うことに等しい、人の命よりも別の何かを優先していく「愛無き社会」であると言わざるを得ません。私たちは、何よりも人の命を優先し、そのことが「神を愛する」信仰者として他の何ものをも差し置いて大切にしていかなければならないことを、イエス様から与えられた掟として深く心に刻み付けていくべきでしょう。「愛無き社会」を「隣人を愛する社会」へと導いていくことが、私たち一人一々に主から託された使命であります。そしてイエス様が十字架にかかられてまでこの世界の一人をも滅びることのないようにしてくださった、その大いなる愛に押し出され、私たちがこの社会の一人一々に隣人として接し、人と人として愛をもって仕えあうことが、真に人が生きるに値する社会を実現するのです。
(2017年7月23日週報より)