星のように輝く人生

 何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。(フィリピの信徒への手紙2章14~16節)
                   
 「不平や理屈を言わずに」生きることほど、私たちにとって難しいことはないでしょう。何故、世の中には理不尽なことや不正がまかり通るのか、どうして社会から差別や不公平な格差がなくならないのか、なんで自分はいつまでたっても苦しみや悩みを抱え続けなければならないのか等々、私たちの日常に「不平、不満」が口をついて出ない日はないのではないでしょうか?そして、世の中が悪いから、自分はいつまでも浮き上がれない、自分が不幸なのは周囲の社会のせいだ、と「理屈」をこねて自分の現状への不満をいつも自分以外のものの責任にし、恨みのはけ口としていく。そういう日常の中で、私たちは誰かがその「不平、不満」を解消してくれることを願いつつ、いつまでたってもどうにもならない現実に苛立ち、ますます「不平」を募らせ「理屈」を言い続けることになってしまうのでしょう。

 しかし、そのような不平や理屈を言い続けて、誰かにその問題を解決してもらおうとしても、決して周囲の現実は何も変わらないのです。自分がその現実の中で、自分自身を前向きに生かす努力をしない限り、いつまでたっても状況は良くならないことを自覚しなければなりません。「何事も、不平や理屈を言わずに行う」ことは確かに難しいことでありますが、ぶつぶつ言いながらでも、何か事を行っていくうちに、自分自身の思いが変えられていくことに気づかされる時もあるのです。

 それは自分の人生の中心に、これこそ永遠に変わらない真実のものがあると信じ、その永遠に変わらないものの周囲を自分は巡り回る存在であることを知ることによって、自分の生かされている現実のすべてが違って見えてくるということなのです。梅雨に入り、ジメジメとした日が続くと体も気持ちも湿りがちで憂うつになりますが、しかし雨に濡れてアジサイの葉や花が、この時期でなければ見られない美しさに輝くのを目にした時、梅雨の雨も私たちにとって神様からの贈り物として与えられた貴重な恵みであることを思わされます。

 私たち自身も、その神様によって造られた被造物の一つとして、自分は決して無駄な存在として生きているのではなく、どんな小さな行いにおいても、神様の愛に生きる者としてその務めを果たしていくならば、その人生の中で一つ一々の行動が意味のあるものとして、光を放ってくるではないでしょうか。「よこしまな曲がった時代」の中でも「神の子として、世にあって星のように」輝くことが、私たち信仰者の最も恵みに満ちた生き方なのだということを思い起こして、暗い状況の中でこそ一人一々が自らの小さな光を放つ機会であることに感謝しつつ歩んでいきましょう。夜空を夜間撮影する時、長時間シャッターを開放して写した写真には北極星を中心にした数多くの星の光が渦を巻いて輝く光景が現れます。北極星の位置は不動のまま、他の星々がその周りに円を描いて回っているからです。私たち信仰者の人生も、イエス様の永遠に変わらない愛を中心にし、どんな苦しみの時も悲しみの時も、その時々において輝きを放つ星々の円の中から外れることはないのです。
(2017年6月25日週報より)