遙かなる旅路

 キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力ある方に、祈りと願いをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。(ヘブライ人への手紙5章7節)
                   
 先週の6月13日は、2010年に小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還した日から7年目にあたる日でした。その前日、たまたま私は以前DVDに録画した「はやぶさ」の実話をもとに作られた「はやぶさ・遙かなる帰還」という映画を見ていました。その映画で、6月13日に、「はやぶさ」が地球に帰って来たことを知ったのです。この小惑星探査機「はやぶさ」は、「イトカワ」と名付けられた地球から3億キロ彼方の小惑星の土をサンプルとして持ち帰るため、作られたものでした。しかし、この「はやぶさ」の地球出発からその帰還までの旅路は、決して順調なものではなかったのです。「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」に着地し、弾丸を撃ち込み土のサンプルを回収する段階では、1度目はうまく着地できず、2度目は着地に成功するも、弾丸が発射できないというトラブルが発生し、そのまま「イトカワ」を離脱するしかなかった、ということでした。また、帰還の途についた「はやびさ」は、うまく軌道にのることが出来ず、当初予定していた年数より3年遅れて帰って来ることになってしまったのです。

 その後もエンジントラブルや、一時期は「はやぶさ」からの通信が途絶え宇宙の迷子になってしまうという、もはや地球帰還は絶望視される状況が続きましたが、地上からあらゆる周波数の電波を送り続け、そのうちの一つが奇跡的に「はやぶさ」につながり、再びその存在を確認することが出来たのでした。このような波乱に満ちた旅路のすえ、「はやぶさ」は地球に帰って来たのでした。大気圏に突入する前、「はやぶさ」の生みの親である博士は「はやぶさ」に故郷を見せてやろうという気持ちで、「はやぶさ」のカメラで地球を撮影させることにしました。その時「はやぶさ」の送ってきた何十枚の写真は、黒い宇宙空間ばかりのものがほとんどでしたが、その中の1枚に地球の姿がはっきりと写っていたのです。その直後に「はやぶさ」は「イトカワ」のサンプル収集のためのカプセルを切り離し、自身は大気圏の中で燃え尽き消滅していったのでした。

 私はこの「はやぶさ」の姿にイエス様の姿を重ね合わさざるを得ません。イエス様も「肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流し」父なる神様に向かって祈り続けられた方であったのです。それは、私たちすべての人間を救うために、ご自身が十字架の死にいたるまで「従順」に神様に従って生きられた姿でありました。信仰の人生は、決して波風のたたない順風万帆の時ばかりではなく、むしろ信仰の故に苦しみ悲しみ、様々なトラブルの生じる「遙かなる旅路」なのです。多くの苦しみ悲しみに心も体も傷つかざるを得ない、それが信仰の道をひたすら進む者の宿命ではないでしょうか?しかし、「はやぶさ」が自ら燃え尽きた後に残されたカプセルには「イトカワ」に着地した時の土埃が残っていたように、イエス様の十字架にいたる信仰の人生は、私たちに神の御国の喜ばしき訪れとして残されたのです。その主イエスの信仰の旅路に私たちも従って行く一人一々なのです。
(2017年6月18日週報より)