愛を見失うことなく生きる

 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。(ルカによる福音書19章10節)
                   
 先週、九州や関東地方では「春一番」が吹きました。まもなく、桜の季節となる時期を迎えています。しかし、毎日のニュースを見たり聞いたりしていますと、先週も受験を前にした高校生が、母親と言い争いをして殺してしまったという悲惨な事件の報道がありました。また、海外では、北朝鮮の前総書記の息子である人物が、空港で何者かによって毒殺されるというスパイ映画のような事件が起こっています。人が人を、どんな理由にせよあっさりと殺してしまう、そのような事件が私たちの世界のどこかで起きている、そのことがまるで日常茶飯事のことのように私たちの目や耳に飛び込んでくる。春の暖かな季節に向かおうとする時期、なお私たちの世界は暗く冷たい争いと憎しみの暗雲に覆われ、人間同士がその命の価値をまったく見失ってしまっているという、その現実に暗澹たる思いがします。

それでも私たちは目を上げなければなりません。どんなにこの世界の現実が暗く冷たい暗雲に覆われていても、その上には新たな太陽の光が輝きを増していることを忘れてはならないのです。先日、静岡の方へドライブに出かけました。初めは御前崎の海岸を目指していたのですが、高速道路を走っている車窓から、山間(やまあい)に白く突出している雪山が目に入りました。青空をバックに富士山が白く輝く姿を見せていたのです。そこで急きょ目的地を変更し富士山の方角へと方向転換をしました。やがて富士山の山容が目の前に迫ってくる場所までたどり着いたのですが、先ほどまで白く雪をいただいた山頂が見えていたのに、その時は厚い雲に覆われ山の上を見ることは出来なくなっていました。富士山のような標高の高い山は、下界は晴れていても一日のうちに天候が目まぐるしく変わり、ちょっとした間にも雲が出てきてその姿が見えなくなってしまうのです。

 でも、その近くには「白糸の滝」と呼ばれる有名な場所があり、そこへ行ってみると崖から何本もの滝が流れ出して、陽のあたっているところでは滝の水しぶきが虹を作っている様子もうかがえました。この滝は富士山に積もった雪が溶けて地下の溶岩層にしみ込んだものが長い時間をかけ、その崖の断面から流れ出しているものでした。この滝はその地下水が絶えることなく流れ、季節を問わず一定の温度を保っていて、真冬でも凍りつくことがないそうです。

 山の上では目まぐるしく天候が変わり雲に覆い尽くされることの多い富士山ですが、その富士山からは地下水が時を選ばずに流れ、冬でも暖かくきれいな水として湧き出て、麓のわさびや野菜を育てているという話も聞きました。私たちも、聖書から流れ出るメッセージをいつも心のうちに湧き出る地下水として聞き、またその恵みの水を常に人生を潤す命の水として受けとっていけるのです。この世界の現実がどのように暗く冷たい暗雲に覆われているとしても、私たちはその厚い雲の向こうに輝く神様の愛の光を信じ、また私たちの人生に主イエスが共にいてくださることに感謝しつつ、その御言葉を生ける命の水としていくのです。「失われたものを捜して救う」ために主が来て下さった、その大いなる愛が私たちをも神の子とし、どんな時代でも愛を見失わず生きる道へと進ませるのです。
(2017年2月19日週報より)