主の御言葉をパン種として

 ファリサイ派とサドカイ派のパン種に注意しなさい。(マタイによる福音書15章11節)
                   
 福音書には、イエス様の時代にユダヤ教の主流派であった、ファリサイ派とサドカイ派という二つのグループのことが出てきます。ファリサイ派とは厳格な律法主義者の集団で、聖書に記された律法を文字通り守り行うことを人々に教え、また実践していました。一方、サドカイ派はユダヤの富裕層、貴族階級からなるエリ-ト集団で、ユダヤの最高法院の主要なメンバーはこのサドカイ派によって占められていたといいます。この二つのグループが、当時のイスラエルにおける宗教的指導者、また政治的リーダーの役割を担っていたわけです。イエス様はよくファリサイ派の人々と対立し、議論や問答を交わしたことが福音書の各場面に出てきますが、ファリサイ派の立場からすればいかなる仕事もしてはならないという安息日に、人の病を癒す奇跡を行ったイエス様は、律法の掟をないがしろにする異端の徒でありました。また、貧しい者は幸いであると説き、今富んでいる者は災いだと言ったイエス様は、富裕層から成るサドカイ派にとっては自分たちの既得権益を脅かす不穏な存在として映っていたのでしょう。

 そのように宗教的にも政治的にも影響力のある二大グループの人々からにらまれるイエス様の活動は、決して容易に社会に受け入れられるものではありませんでした。それ故、イエス様に従っていたペトロたち弟子たちも、このファリサイ派やサドカイ派の力や思想、またその教えにある種の圧力を感じていたのではないでしょうか? ファリサイ派のように、律法という金科玉条を掲げ、これに従って行動すれば間違いないという、既に敷かれているレールの上をスムーズに進んで行けば、それほど苦労も悩みもなく生きていけるのではないか?サドカイ派のように、社会的なステータスを持ち、多くの人の羨望の的になる人の言葉に聞き従った方が、うまく世の中を渡っていく利口な生き方ではないか?そのような思いがイエス様の弟子たちの間に渦巻いていたとしても不思議ではありません。

 その弟子たちに対してイエス様は「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい」と語られました。パン種はその僅かなものでもパンを大きく膨らませる効果があります。同様に人の言葉も、その人の一言によって社会全体が大きく影響されることがあるのです。今期のアメリカ大統領は「自国第一主義」を掲げて、アメリカの利益とならない企業や移民を排除しようという政策を推し進めているようです。それはおそらくアメリカだけに留まらず、世界のあらゆる人たちに影響を与えるパン種となることでしょう。

 確かにそのような自分のことが一番大事なのは私たち人間の本音であることは事実です。しかし、そのような本音をむき出しにした時、人はもはや愛も正義も二の次、三の次にして、弱い者を排除して自分の幸福のみに突っ走るエゴイズムにとらわれてしまうことになります。イエス様は、そのような自分だけの幸福を第一とするエゴの虜として生きる以外ない私たちを、大きな愛をもって赦し神の正義のために生きる者にするためこの世界に来て下さった、その主の御言葉こそ私たちをあらゆるエゴから解放し、共に生きる喜びの道へと進ませる愛のパン種なのです。
(2017年1月29日週報より)