こちらが知らなくても

 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。(マルコによる福音書13章35節)
                   
 昨日から、センター入試が始まっています。受験生が真剣に試験に取り組んでいることでしょう。しかし、今年は例年にない寒波の影響で、普段は雪の積もらない地域にも積雪の予報が出され、交通に支障をきたすことが懸念されました。受験生も、試験当日に時間に間に合うよう、急きょ試験会場近くのホテルに前日から泊まり込んで、万全の準備をするという姿が多くあったようです。雪の影響で電車やバスが止まってしまったら試験に間に合わなくなる、そんな心配で夜もおちおち寝られないことになってしまうからです。おそらく、そういう時間に間に合わない受験生が出ても、試験会場の方で時間をずらして試験を受けられるよう配慮しているということですから、受験出来ない人が出るようなことはないのでしょうが・・・

 受験に限らず、予想外のことに遭遇して、あわててしまうことは私たちの人生にはしばしば起きることです。その時は、そういう予想外のことが起きた事で、もう自分の人生が狂わされてしまったかのように落ち込んでしまう気持ちにもなります。しかし、ある牧師が、このようなことを本に書いていました。その牧師は高校受験の時、親の反対で自分の志望していた高校を受験させてもらえず、結局行きたいと思っていなかった高校へ通うことになったそうです。そんなことで、やけくそになっていた時、友人の誘いで聖書研究のサークルに入り、初めてキリスト教に触れたのだと言います。そして、教会へも通うようになり、高校2年で洗礼を受けたのだそうです。そして、高校3年になり突然「牧師になろう」と決心し、神学部のあるD大学の受験を目指すことにしたのです。しかし、熱心な仏教徒であった両親が猛烈に反対し、高校の担任の先生の所にまで行って、本人に牧師になることをあきらめるよう説得してくれと依頼したのだそうです。すると担任が「大丈夫です。息子さんの学力では合格しません」と太鼓判を捺したといいます。ところが受験当日、試験会場に向かう電車の中で覚えた英語の熟語が五つも試験問題に出ていて、そのおかげで本人は奇跡的に合格したというお話です。

 聖書に「主人がいつ帰ってくるのか」分からないのだから、「目を覚まして」主人を出迎えられるよう待っていなさい、という教えがあります。この主人とは、やがて再びこの世に来られる再臨の主、イエス様のことを暗示しているのですが、そのイエス様がいつ来るのか分からず、夜もおちおち眠ることが出来ないという不安を私たちに与えるための教えではありません。むしろ、こちらが分からなくても、イエス様が私たちにとって最も良い時に来て下さるのだから、その主への信頼によって、今与えられている使命に集中し、いつ帰って来られても、主人を喜んで出迎えられる僕のように信仰の道を弛まず歩み続けなさい、という教えなのです。受験で挫折し、そのことがきっかけで信仰の道が開かれることもあるのです。人生において、最も良いタイミングで私たちを最良の道へと導いて下さる主がおられ、私たちには失敗や挫折として映る出来事であっても、そのことを通して思いもかけない新たな希望の道へと進ませてくださるのです。主が時を知っていて下さるのです。
(2017年1月15日週報より)