母と共にいる幼子

 彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。(マタイによる福音書2章11節)
                   
 先週の1月6日は、教会の暦では「公現日(エピファニー)」と呼ばれる日でした。マタイ福音書のクリスマス物語に登場する「東方の占星術の学者」たちが、幼子イエスを発見した日だと言われています。この占星術の学者たちは、母と共にいる幼子を見て、その前にひれ伏し、宝の箱から黄金、乳香、没薬という、当時は貴重な品物であったそれらを献げた、とあります。彼らはイスラエル人ではなく、むしろイスラエルではタブーとされていた占いをする異教の人々でありました。本来ならばイスラエルに新しい王が誕生するという「しるしの星」を見たところで、彼らには何の利益ももたらさない、関わりの無い出来事として無視することも出来た事柄です。しかし、彼らはその星を見て、故国を出発し長い冒険の旅へと乗り出していったのです。

 母と共にいる幼子ということについて、私には一つの忘れられない光景があります。それは私がまだミッションスクールに聖書の授業のため通っていた頃のことです。学校の近くで、一組の親子が手をつないで歩道を歩いている姿を見かけたのです。お母さんとまだ幼稚園くらいの小さな女の子でした。お母さんは片方の手で女の子の手を握って、もう片方の手には白杖(はくじょう)を持っていました。目の不自由な方だったのです。その母親の手を握っている小さな女の子は、前を向いてしっかりとした足取りで歩いていました。目の見えない母親を、自分がその目となって道案内している、そんな姿に思えたのです。また、お母さんの方は、幼いわが子が転んだり車道に飛び出さないように、しっかりとその子の手を握って守っているかのようにも見えました。目に障がいのある母親と、まだ就学前の小さな女の子の姿は、いわゆる社会的弱者と言われるような組み合わせに思われますが、その双方がお互いを思いやり、また信頼し合って歩いている、その光景は弱さと弱さが合わさって、何よりも力強い愛を示すことを私に教えてくれたように感じたのです。

 占星術の学者たちが見た「母親と共にいる幼子」の姿もこのような姿ではなかったでしょうか?そこには、この世の王や権力者の持つ力強さも人を恐れさす威圧感も何一つ感じられなかったのに違いありません。しかし、そこには人が自然と頭を下げたくなるような、弱さのゆえに愛をもって互いに信じあい守りあう母と子の姿があったのではないでしょうか。そのような愛によって結びついた関係こそ、どんなこの世の王や権力者よりも、人の心を動かし支え導く力に満ちているものなのです。

 そして、そのような愛に満ち溢れた姿が、どんな宝物よりも尊いものであることを学者たちは感じ、彼らの持つ最高のものを、喜びをもって献げることが出来たのでしょう。私たちはこの1年も、そのような愛によってこの世に来られた主イエスと共に、この世界に福音のメッセージを告げ広めるため礼拝を守り、また礼拝から出発してこの世の旅路を歩み続けていきます。主イエスのために生き、また主イエスに守られ導かれる最高の時間を、喜びをもって進んで行きたいと願います。
(2017年1月8日週報より)