一人をも失わない愛

 わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。(ヨハネによる福音書6章39節)
                
 イエス様のメッセージには「小さい者の一人」であるとか「一人も滅びないで」という風に、一人という人数に大変こだわっておられる箇所が目立ちます。それは人間一人一々が本来みな孤独な存在であるからではないでしょうか?その孤独な一人をイエス様は非常に大切にされる、そしてむしろ孤独であるからこそ、その人の価値をイエス様は誰よりも理解し愛して「失ってはならない」一人として見守り導いてくださっているのだと言えるのではないでしょうか。

 先週の報道番組の中で、広島に原爆が落とされたことで両親も弟も失い孤児となった女性のインタビューがされていました。その女性は自分が天涯孤独の身となったことが長い間受け入れられず、原爆記念日の式典の行われる広場に毎年行っては、大勢の人たちの中に自分を知っている誰かががいて自分のことを見つけてくれないかと、「わたしはここにいる。わたしを見つけて」と心の中で叫び続けていたというのです。現実には、その女性は孤児である自分が引き取られた家で、その家の借金を返すために、子どもの身でよその家に働きに出されたり、15歳でまるで身売りされるように金持ちの男性に嫁がされ、その結婚生活も夫の暴力に耐え「原爆孤児」というレッテルを貼られ、差別や偏見に苦しむ日々であったのです。

 そのような女性が、たった一つ、苦しい人生の中で喜びが与えられたのは、自分が子どもを出産したという出来事であったそうです。それまで、被爆者である自分は「まともな子ども」を産むことは出来ないとい周囲からも言われ、悩んでいたというのですが、その出産によって自分も普通に子どもを産むことが出来た、そのことが本当に誇らしくも思えたということです。このように原爆や戦争によって人生を大きく狂わされた人たち、特に被爆者として、周囲の無知や偏見に苦しめられた人たちは他にも数多くおられます。しかし、その苦しみは本人にとって誰とも比べられない孤独の苦しみであり、一人一々みな違う苦労と重荷を負った人生であることに変わりありません。その孤独を癒せるものがあるとしたら、自分を家族として本当に愛し受け入れてくれる人たちの存在であり、「一人の人間」として自分の価値を見つけてくれる理解者の存在なのでしょう。

 イエス様は、そのような孤独な人をご自身の家族、兄弟姉妹として愛し理解し受け入れてくださるために、この世界に来て下さった方であります。イエス様ご自身もまた、周囲から理解されず、周囲の無知と偏見に苦しまれつつ、なおその苦しみを通して私たち人間一人一々が、父なる神様の愛される神の子として「生きるべき価値がある」ことを証明してくださったのです。それが十字架と復活によって示された福音のメッセージであります。ですから、私たちはどんなにこの世界が、人間を道具のように扱い、役に立つか立たないかで人をランク付けする非人間的状況に取り囲まれているとしても、自分の価値を本当に深くすべて理解し受け入れておられる主の眼差しが注がれていることを信じ、私たちもまたその愛を行って生きる人生へと歩んでいく、その勇気と希望に満たされ、立ち上がって行けるのです。
(2016年8月21日週報より)