平和を来たらせる笑い

 祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。(マルコによる福音書11章24節)
                
 旧約聖書学の専門家でもある大島力牧師が、今年出された「聖書の中の祈り」というご自身の著書の中に、「知っている者の笑い」と題した項目で次のように語っておられます。それはスイスのペンツァクという牧師の書いた「笑っている魚」というヨナ書についての書物から紹介している言葉なのですが、大島牧師は「笑っている魚」とは、ヨナを呑み込んだ魚であるが、それはヨナのことをありのまま知っていて、なお彼の存在を受け入れ微笑みつつ見捨てない神様の愛をあらわす象徴であると示しています。

 ヨナ書では、神様の命令に逆らってイスラエルの宿敵ニネベへの宣教を拒んで海へ出た預言者ヨナが、嵐で船が沈みそうになり、それがヨナの責任であることが知れ、他の乗員に被害が及ばないよう、ヨナ自らが自分を海へ投げ込ませるという場面が出てきます。その時に大きな魚が近づいてきて、ヨナを呑み込んでしまうのですが、その魚は笑っていたろうとペンツァクは記しているのだそうです。『それは、嘲笑の笑いでもなく、同情の笑いでもありません。知っている者の笑いなのです。この笑っている魚は、失われたものをかえりみ、愛し、救う救い主である神の愛の光の反映のようなものです。』このペンツァク牧師の説明を引用しつつ、大島牧師はこう付け加えています。『「知っている者の笑い」とありますが、何を知っているのでしょうか。それは、この時のヨナのありのままの姿です。・・・まさにヨナは絶体絶命のピンチにありました。そこに、巨大な魚が近づいてきたのですが、その魚は笑っていた、ヨナのすべてのことを理解し笑っていた、このように言うのです。』。

 今年も8月の終戦記念日を迎える時が来ました。先々週は6日に広島の原爆投下記念日、先週は9日に長崎の原爆投下記念日を迎えました。人類史上、核兵器による大量殺りくの歴史が刻みこまれた、最も恐ろしく痛ましい記憶を呼び覚まされる日です。その広島の原爆投下によって被爆し、71年間核廃絶の訴えをし続けて来た今年91歳になる被曝者の方が、アメリカに行き原爆を落とした飛行機の展示がなされている現場を見て大変な衝撃を受けたと言います。そこには広島でどれほどの人が犠牲になったかについて、一切何の記述もされていなかったというのです。自分が長い間訴え続けてきたことが、全く理解されていないことにショックを受けられたのです。しかし、それでもなお、この方はこう言っていました。「アメリカに対する憎しみは腹の底にある。しかし、その憎しみを乗り越えなければ平和な世界は実現しない」と。「知っている者の笑い」とは、このような憎しみを乗り越える努力をする、し続けていく人こそが笑える笑いなのかも知れません。

 私たち人間の社会に常に起こる、偏狭な民族主義やヘイトスピーチによる排外思想、そのような憎しみの応酬に明け暮れる現実をも「笑いつつ呑み込む」大きな愛による笑い。それは十字架の主の贖いを信じ祈る者の笑い、真実の平和が神様によって実現することを、否、既に実現していると知る者こそが笑う笑いなのです。
(2016年8月14日週報より)