聖霊の宿るところ

 あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。(コリントの信徒への手紙Ⅰ 6章19節)
                
 間もなく聖霊降臨日(ペンテコステ)を迎えます。クリスマス、イースターと並んでキリスト教の3大祝日とされているのがこのペンテコステです。イエス様が復活され40日間弟子たちのもとに留まり、その後天に昇っていかれる時に「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」そうおっしゃって、その時が来るのを待つようにと言い残されたのでした。それから10日後のペンテコステ(過越しの祭りから50日目の祭り)の日、弟子たちの上に聖霊が降り、彼らは力を受けてイエス様の福音を宣べ伝え始めたのです。

 聖霊とはこのように福音を宣べ伝える力を信じる者一人一々に与える霊であると言えます。しかし、しばしば「自分のような欠けだらけの者がクリスチャンなどと言うと、キリスト教そのものが誤解されてしまうのではないか」と福音を語ることにしり込みしてしまう人もいます。それは一見するとその人が謙遜しているかのようですが、むしろそれは高慢な態度なのです。なぜなら、神様はそのような欠けだらけの者を、あえてご自分の福音の証し人として選んで下さり、聖霊の宿る「神殿」としてくださったのですから。その選びに対し「欠けだらけ」であることを理由に福音を語らぬとしたら、それは自分の方が神様より自分を知っている、自分のことを神様は御存じないからそんな無茶な選びをされるのだ、という風に自分を神様以上の知者にしていることなのですから。

 最近「トットてれび」という、有名な黒柳徹子さんの自伝をドラマ化した番組が放送されました。黒柳徹子さんはテレビの俳優一期生として何千人もの中から選ばれた人だったといいます。しかし彼女が出るテレビやラジオ番組で、いつも常識はずれの行動をし失敗を繰り返すので、なかなか役がつかず、また「変なしゃべりかたをする」という周りの評価に本人もかなり落ち込んだということでした。しかし、あるラジオの子ども番組のオーデイションで、思いもかけず主役の一人に抜擢され、その時、黒柳さんは「頑張ります。変なしゃべりかたは直します」と審査員の先生に向かって言ったそうです。するとその人が「直してはダメです。あなたのその声が必要なんです」そう答えたのだといいます。

 イエス様も、たとえ欠けだらけで失敗し続けるような私たち一人一々も、ご自分の福音を広めるために「必要」な存在として、その欠けや失敗しやすい性格をも主の愛に生きる者の大切な個性として求め用いてくださる方なのです。そのために、聖霊が私たち信じる者のパートナーとして、私たちの性格も個々の人生の小さな痛みや弱さもすべて知り尽くす最も良き理解者として、私たち一人一々の人生に宿ってくださったのです。それ故に、私たちは「時が良くても悪くても」福音を宣べ伝えることを止めてはならないのです。私たちが、どんなに弱く乏しい者であり続けても、それを自分自身がどれほど苦に思い「こんな自分のような存在に意味などない」と否定しようとも、聖霊がご自身の最も良い住み場所として「あなたが必要なのだ」と求め、私たちの体を常に神殿として用い続けてくださるのですから。
(2016年5月8日週報より)