神の国から遠くない人

 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。(マルコによる福音書12章34節)
                
 今年の1月17日に、神戸教会で行われた、阪神淡路大震災の21年目の追悼礼拝に参加しました。その折りに、震災当時、大学生だった牧師の方が立たれ、次のようなお話をされたのです。その方は、震災の直前、大学に提出する修士論文を書いていて、もうそれを出すばかりになっていたそうです。ところが震災が起こって、学生仲間と共に救援活動に走り回らざるを得なくされたのです。しかし、その救援活動のさなか、自分の書いた論文のことが頭を離れず、この人は救援活動を抜け出し、論文を取りに戻って大学に提出しに行ったのでした。しかし、大学の方も震災の影響で論文の受付どころではなく、結局、その人は大学に論文を出すことは出来なかったといいます。

 そういう経験をしたその方は、自分が論文のことで救援活動を抜け出したことを、その先何年も苦しんだそうです。自分が聖書に出てくる、強盗に襲われて倒れている人の傍らを、見て見ぬふりをして通り過ぎた祭司やレビ人と同じではないか、という罪の意識にさいなまれたというのです。そういう思いの中で、その後その方は、牧師となって教会に遣わされ、そこで震災の痛みを背負いながら、互いに苦労を共にし助け合っている周りの人たちの姿と出会い、多く学ばされるようにもなったといいます。

 この牧師の体験を聞きながら、私もその時、同じ立場であったら、やはり同じようにしてしたのだろうと思わざるを得ませんでした。「隣人を自分のように愛しなさい」という御言葉が、いざ現実となったらいかに難しいことかを考えさせられるお話でした。今も九州では先々週から連続している地震のために、多くの人々が家を失い、また避難所での不自由な暮らしをしています。そんな状況をテレビの画面を通して見ているだけの私自身が、また情けなくもなります。ただ、そういう苦しみの中にある人たちを痛みをもって覚えていく、そのことも忘れてはならないことであります。

 イエス様のもとに来たある律法学者が、律法の中でどれが1番大切な掟かと問うた時、イエス様は「神である主を愛し」「隣人を自分のように愛す」ることだと答えられました。その答えを聞いて「先生、おっしゃるとおりです」と律法学者はそのイエス様の答えを復唱したのです。他の律法学者は、イエス様に反感と敵意を抱いて、議論を仕掛けることしかしなかったのに、この人はイエス様の愛ある答えに全面的に同意したのです。口先だけで愛や正義を語っている律法学者仲間の空しい言葉に、彼は失望していたのでしょう。そして自分自身も「隣人を愛する」ことの難しさや痛みを覚えていたのではないか、と思います。しかし、その律法学者にイエス様は「あなたは神の国から遠くない」と言われたのです。心痛むほどに、他者の苦しみを見ることの出来る人ならば、その人もまた「神の国」へと進む、すなわち愛を第1として生きる道を、小さい祈りやわずかな奉仕からでも行い神様に覚えられる人である、とイエス様は喜んで下さるのです。
(2016年4月24日週報より)