新しい王の誕生

 彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。(マタイによる福音書2章11節)
                   
 マタイ福音書のクリスマス物語には、東の国から来た占星術の学者たちが登場します。彼らは「ユダヤに新しい王が生まれる」しるしの星を見てやって来た人々でした。しかし、エルサレムの都にも宮殿にも、新しい王が誕生したという話も噂も全くなかったのです。彼らは途方に暮れたでしょうが、その彼らの来訪を当時ユダヤを支配していたヘロデ王が知り、その彼らの話に大きな不安を抱きます。ヘロデはイスラエルを実質支配していたローマ帝国の後ろ盾により、イドマヤ人でありながらイスラエルの支配を任されていた傀儡の王であったからです。そのヘロデにとって、ユダヤに新しい王が生まれる、すなわちイスラエルの人々が待ち望んでいたメシア、異邦人の支配からイスラエルを解放すると待ち望まれた王の誕生は、自分の立場を危うくする出来事でした。

 そこでヘロデは聖書学者を招集し、預言でメシアが生まれると記された場所を調べさせ、そこをベツレヘム周辺と特定したのです。さらに、東から来た占星術の学者たちを呼び、彼らに「新しい王」がベツレヘムのどこにいるのかを探らせようとしました。そのヘロデの企みも知らずに学者たちはベツレヘムに向かったわけですが、その彼らの頭上に東の方で見た「新しいユダヤの王が生まれる」しるしの星が再び現れたのです。その星が彼らを幼子イエス様のもとへと導き、彼らは「新しい王」イエス様と対面を果たすことができたのでした。しかし彼らが目にした王の姿は、貧しい大工の家の小さな男の子に過ぎません。ヘロデのように、いざとなれば大勢の軍隊を目配せ一つで動かせるような権力も実効力も持ち合わせない、むしろその対極にある小さな無力な幼子でした。しかし占星術の学者たちは、その幼子の前にひれ伏したのです。ひれ伏すという姿勢は礼拝をする姿勢です。人は力ある者の前に礼拝をするのが普通です。しかし、彼らは力を持たない幼子に向かって礼拝したのでした。

 私が若い頃に流行った「猿の惑星」というシリーズものの映画に、核戦争で滅んだ地球に生き残った人々が、地下の礼拝堂で神を礼拝するという場面が出てきたことを覚えています。その祭壇に神として祭られていたのは核爆弾でありました。人間が自分たちを滅ぼす恐ろしい力のある核爆弾を神として礼拝していたという、ショッキングな場面でした。恐ろしい力の前で、人は恐怖によってその力あるものを礼拝しひれ伏す・・いつの時代もそのような力の支配が繰り返されるのが人間の世界の現実なのでしょう。しかし、幼子を礼拝した学者たちは、力の前に恐れ屈するようにイエス様を礼拝したのではありません。もはや、無力で何一つ人を傷つける武器も権力も持たない、そのような幼子に「新しい王」ただ笑顔で誰をも心開かせる愛のみを持つ王として、恐怖からではなく、感謝と喜びとを献げられる王としてイエス様を礼拝したのです。暴力には暴力を破壊には破壊を、そのような力と力によって互いに相手を押さえつけるしか術のないこの世の支配を、全き愛によって終わらせる王の誕生、それこそ私たちが真実喜び迎えられるクリスマスなのです。
(2015年12月13日週報より)