本当に必要なこと

 あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。(ルカによる福音書10章41~42節)
                   
 今年、萩本欽一さんというタレントさんが、駒沢大学を受験しみごと合格したということが話題になりました。そのご本人がテレビ番組で語っていたお話では、歳を取りボケが始まって、何とかしなくてはと思い考え付いたのが大学受験であったというのです。そのため塾の先生に勉強の指導をお願いしたというのですが、記憶力も若い時のように詰め込みで覚えることが出来なくなっていて、昨日習ったことを今日もう忘れている、そういう状態であったそうです。そこで、自分用の参考書を用意したといいます。参考書の内容の中で、自分が覚えなければならない文章だけを切り抜き、「~ということになる。」というような文末の言葉を省いて、極力簡略化した文章をノートに貼り付け、それを覚えたのだと言うことです。

 また英語なども、自分で覚えやすいように「記念日」をあらわすアニバーサリーという言葉を「兄とバアさんとサリーちゃんの記念日」というように、頭の中で絵に浮かんでくる形で覚えていったそうなのです。発音などは記述問題には関係ないから全く覚えようとはせず、ただ試験に必要なことだけを取り上げそれを憶えることに集中されたのです。その結果、本人も一発で浮かるはずがないと覚悟していた受験に、予想外にも合格してしまったのでした。

 このようなタレントとして長年活動していた方はもともと人よりも頭の回転が速いから、こんなことも可能なのでしょうが、それでもやはりこの萩本欽一さんのやり方は学ぶべきことの多いところがあると感じさせられました。まず、あきらめないということです。自分の能力が衰えてきた時、それを「ああ、自分ももう若くはない」と後ろ向きになり、それ以上に前は進む気力を失いがちなのが普通ですが、そうではなく、それならば自分の歳なりの覚え方があるとチャレンジする、そういう前向きの姿勢を持つことの大切さを教えられた思いがします。そしてまた、必要なことはそんなに多くはない、自分にとって肝心と思うことだけに集中して生きる、それ以外のことはバッサリ切り捨てて行く、そういう潔さも私たちが自分らしく生きるための知恵であるということも気づかされたのです。

 聖書の言葉も、私たちはとても全部を暗記し覚えることなど出来ません。ただ、聖書を読む時に、その言葉が何のために書かれ、何を伝えるためのものなのか、そのことを私たちは知っていなければなりません。それは、イエス・キリストが私たち一人一々の救いのため、人となってくださり、私たちすべての人間の罪の贖いのために十字架に掛かってくださったこと、そして私たちを永遠の命にあずからせてくださるために復活され、今も聖霊を通して私たちと共に生きておられ導いていてくださること、それが聖書の書かれた意味であり、伝えようとしている内容なのです。そのことさえ、しっかりと覚えていくならば、それ以外の難解な聖書の文章もその歴史的背景といった学問的知識も、ある意味ばっさりと切り捨てて良いものなのです。もちろん牧師の説教も覚える必要はありません。それが主の愛を現すものかどうか、その一点こそ聖書のすべての言葉が集中すべき所なのですから。
(2015年11月15日週報より)