人生の基準

 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイによる福音書6章34節)
                   
 先週の月曜日に、ノーベル賞の医学生理学賞が発表され、その中の一人として大村智さんという、北里大学名誉教授の方が選ばれました。この大村さんが発見した微生物から、寄生虫病に効果のあるイベルメクチンという薬が開発され、寄生虫病に苦しむアフリカや中南米の多くの人たちが救われた、その功績に対して与えられた賞であるとニュースで知りました。この大村さんが研究者としての道を歩むことになったその原点には、幼い頃、自分を育ててくれた祖母の言葉があったと言うことです。大村さんお祖母という人は大村さんに「大切なことは、人の役にたつことだよ」といつも教えていたそうです。その言葉が、大村さんが人生の岐路に立った時に、どの道をいけば人の役にたてるかどうか、という進路を決める選択の基準となったということなのです。

 私たちにとって「明日のことを思い悩むな」というイエス様の御言葉が、そのような人生の進路を決める基準となる言葉なのではないでしょうか。明日のことを思い悩むな、というのは何も計画性を無視したその日暮らしを勧める言葉なのではありません。「思い悩む」ことは私たちの人生には一生つきまとう事柄です。思い悩まなくなることが信仰の目的でも効果でもないのです。むしろ明日という日に不安の眼差しを向け「何を食べよう、何を着よう」と毎日の暮らしの先行きばかりに思い悩むことを、イエス様は戒めておられるのです。思い悩むのは「今日」という日をいかに生きるか、というそのことに尽きる。今日を精一杯生きることこそ、明日という日も新たに与えられる人生の貴重な一日として希望をもって迎えることの出来る根拠なのです。今日、神様によって与えられた恵みも、あるいは苦しみも悲しみも、今日一日という時にしか味わえない永遠にただ一度の経験なのです。その一日を「明日のことを思い悩む」日として無駄にしてはならない、その日にしか味わえない人生の味わいを味わう機会を逸してしまうことになる、「その日の苦労は、その日」だけで十分に味わい尽くすべきものだ、と言うことなのです。

 先月の関東・東北の豪雨災害によって、川の堤防が決壊した茨城の常総市では自衛隊や消防署、警察のヘリコプターが被災者救出のために大活躍しました。その救出活動にあたった自衛隊員のお話によると、波に流されそうになっている家の人たちを助けるために上空で停止していても、下で激しく流れている波を見ていたら自分たちが動いているような錯覚を起こしなかなか一定の位置で停止することが難しい。そこで家の近くで激流の中でも波に耐えて立っている大木をめじるしにして、自分たちのヘリコプターの位置が正しい位置にあるかどうかの基準としたそうです。それと同様、私たちも目まぐるしく変化する社会状況や時代の流れの中にあって、ともすると流されそうになる私たちがめじるしとして目を留めることのできる基準、それが「明日のことを思い悩むな」という主の御言葉の大木なのです。今日という日に、与えられている恵みに感謝しつつ、明日も主が私たちの苦労を共に担って下さる。その変わらぬ主の愛への信頼こそが私たちの生きる基準なのです。
(2015年10月11日週報より)