平和の種

 神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そして穂の中には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。(マルコによる福音書4章26~29節)
                
 先週、夏休みをいただいて、石川県の能登半島まで旅行してきました。今、NHKの朝のドラマの舞台にもなっている、塩田で有名な場所です。そこに「米田の棚田」と呼ばれる、海沿いの段丘に大小さまざまな形で田んぼが広がっている場所がありました。その田んぼの風景を眺めながら、青々とした茎が茂っている中に、もう穂がついているものがあることに気づかされたのです。暦の上では、すでに立秋を過ぎていますが、今年は猛暑の連日でこのまま夏が延々と続くのではないかと思わされるような気候に悩まされる日々です。しかし、その真夏の暑さの中、すでに稲の中には穂がつきその穂の中の実が熟しつつある、そのようにすでに秋が始まり収穫の恵みの時は近づいていると感じさせられました。

 昨日は終戦記念日でした。戦後70年目のこの日を迎えたわけです。しかし、戦後「不戦の誓い」によって再出発をしたはずの日本の国が、今、戦争の出来る国へと戦前回帰の方向へと進路を大きく変更しようとしている、そういう現実があります。戦後70年間、私たち日本人はどんな種を蒔き続けて来たのでしょうか?平和の麦の種を蒔いたはずが、いつのまにか戦争という毒麦の種の成長する速さのため周りを囲まれて、その平和の芽を塞がれてしまったような思いがします。

 しかし、その平和の種は戦後70年の間、決して蒔かれもせず、成長してこなかったわけでもありません。その種は確実に、戦後生まれの今70歳以下の人たちの心にも蒔かれ育ってきているのだと思います。私が小学校6年生の頃すでに戦後22年経っていましたが、クラスの担任のO先生が、私たち生徒に「日本の国がどこからどこまでなのか知っていますか?」と尋ねられました。私たちクラスの全員、もちろん私も「日本は北海道から九州までです」と当然のことのように答えたのでした。するとO先生がキッとした顔つきになって「あなたたちは、どうして沖縄が日本だということを知らないのですか」と言われたのです。その時は、どうして先生がこんなに怒っているのか、私には理解できませんでした。その当時、沖縄はまだ日本に返還される前でありました。また日本の本土は東京オリンピックの余波に勢いづき、次は大阪万博という経済成長の只中にあったのです。本土の日本人の中で大人も子どもも沖縄を意識する人は少なかったのです。今、思い返すならば、先生の顔は怒っているというよりも、悲しんでいる寂しい表情であったのだということに気づかされます。もしO先生が生きておられたら、90近いお歳でしょう。そのO先生が今の日本、そして沖縄の現実を見たら、やはり同じような顔をされるのではないか、と私自身、心が痛まざるを得ません。しかし、そのような平和の種を私を含め戦後生まれの者も、心の中に蒔かれたのだということを忘れてはなりません。収穫の時、神様がかならずその平和の実りを喜びをもって刈り取られる、戦争という毒麦を一掃される、その日を仰ぎ望みつつ、平和の種を蒔き続けましょう。
(2015年8月16日週報より)