平和への一本道

 だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。(マタイによる福音書6章25節)
                
 先週、広島に原爆が落とされてから70年目の記念日を迎えました。またこの日曜日は長崎の原爆記念日を迎えております。そして今週の土曜日には70年目の終戦記念日を迎えることになっています。いずれも、戦争の悲しい痛ましい記憶を呼び覚まされる日に違いありません。しかしまた、二度とこのような無益な、人間を人間でなくするような戦争を起こしてはならない、その悲惨な記憶と経験の中から本当の平和へのメッセージを受けとめ未来へと伝えていく、そのような日としても覚え続けていかなければならない日であると思います。

 「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか」このイエス様の言葉は、考えてみれば当たり前のことを当たり前のこととして言っているに過ぎません。どうして、わざわざ、このような言葉を聖書から聞かされねばならないのか、とも思います。しかし、この当たり前のことを、人間はすぐに忘れてしまうという現実があることも否定できない事実なのではないでしょうか。今年は猛暑日が連日続いて、熱中症により救急搬送された人が過去最高になっていると言います。そのようなニュースを毎日聞かされている一方、先週のニュース番組では「プレミアム商品券」を購入するために日中、何時間も長蛇の列ができたということが報道されていました。また、東京のあるお店の前では、人気のかき氷を食べるために炎天下大勢の人たちが並んでいる姿もテレビに映されていたのです。すこしお得な商品券、今人気のスイーツやかき氷のため、人は命がけでも行列を作るのだという事実に驚かざるを得ません。

 「命は食べ物」には変えられません。「体は衣服」には変えることが出来ないのです。自分の体を壊したら、食べられるものさえ食べられなくなり、自分の命を失ったら、着たい服や着物も二度と着ることはできません。そのような当たり前のことを私たち人間はどうして忘れてしまうのでしょうか?

 先日、松代大本営の跡地を訪れて来ました。終戦の前の年、1944年の11月から9か月の間、のべ300万人の人員を動員して、長野の山中に総延長10キロにおよぶ巨大な壕が掘られた跡でした。当時の金額で1億~2億円の膨大な費用がかかったとも伝えられています。そして、その大工事はダイナマイトによる危険な作業であったために、数多くの人命が失われた突貫工事でもありました。そのような松代大本営は工程の8割近くは進んでいたものの、終戦によってすべて水泡に帰したものとなってしまったわけです。戦争は爆弾が落とされた地域ばかりでなく、このような人知れぬ山の中にまで、痛ましい記憶と傷跡を刻み付けるものなのだと、あらためて知らされました。

 「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切」である。この当たり前のことを当たり前のこととして伝え続けることこそ、平和への一本道なのです。
(2015年8月9日週報より)