執り成しの霊に導かれ

 人の心を見抜く方は“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。(ローマの信徒への手紙8章27節)
                 
 聖書に、神様は「人の心を見抜く方」だと記されています。それは神様の前では、どんな嘘もごまかしも通用しないのだ、ということでもあります。同時にその「人の心を見抜く」神様は「“霊”の思い」が何であるかも知っておられるということです。わたしたちにとって、“霊”とは私たちのために十字架に掛かってくださり、私たちの罪の赦しのために命を献げて執り成しを果たしてくださった方、あのキリストの“霊”以外の何ものでもありません。

 弁護士はどんな罪を犯した人でも、その被告人のために全力を尽くします。ただその罪を犯した時点の本人のことだけでなく、その被告人の生い立ちにまで遡って、本人も忘れてしまっているような過去のことまでも追い求め、どういう環境に育ち、どういう経験を重ねてこういう罪を犯すまでになってしまったのか、その背景を明らかにして情状酌量を訴えるのです。もし、そのように自分の人生全般にわたってまで知り抜き、その中の「この人にも、こんな良い所があった」と自分の忘れてしまったことまでも探し出してくれる弁護人がいれば、私たちはその弁護人の言葉を通して立ち上がる希望を与えられるのではないでしょうか。

 イエス様が十字架の上で神様に訴えられたのは「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」という、自分を十字架に架けた人々の弁護の言葉であり祈りでした。他の誰でもない、このような方に祈られ、その方の霊によって執り成し続けられているのだということを私たちは忘れてはなりません。私たち自身はいかに過ちや失敗を繰り返す不完全な存在であっても、自分の今していることが何なのかを知らない無知で愚かな存在であったとしても、そのような人間の心の底の底まで見抜かれる神様がおられ、またその神様に「何とかこの者を赦し救ってやってください」といつも執り成してくださるイエス様の霊があり、祈りがあるのです。私たちは自分の人生がどのように展開していくのかを知りません。しかし、ただその私たちの人生のどの局面、どの時点においても神様の目の届かない闇も淵も存在しない、そのことは確かなことなのです。そして、私たちの知らない否もう忘れてしまったような過去の経験、その悲しみや苦しみの記憶をも掘り起し「この人はこんな所もある。悪い所ばかりじゃない。本当はとても良い面もあるのだ」と愛によって弁護してくださるイエス様の霊の執り成しがあるのです。

 有名な女優さんで黒柳徹子さんという方は、小学生の時に落ち着きがなく退学させられた経験を持っています。その黒柳さんを受け入れ入学させてくれた「ともえ学園」の校長先生は、子どもの黒柳さんにいつもこう語りかけていたといいます。「君は本当は良い子なんだよ」と。黒柳さんは大人になって校長先生が言った「本当は良い子なんだよ」という言葉が、周囲を困らせることばかりをしていた自分への大きな愛の言葉であったことに気づかされたと言います。私たちもイエス様の愛と赦しによって、「本当はあなたも神の子なのだ」と見つめられ導かれ、そのイエス様の霊に支えられ、どんな罪の中からも常に立ち上がる希望と力を得るのです。
(2015年4月12日週報より)