マリアの信仰

 「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカによる福音書1章38節)
                 
 今年も1年の区切りの時を迎えました。振り返れば「今年こそは」と新年に誓いをたてたことの十分の一、否百分の一も、その誓ったことが実現していなかったことに気づかされている人が多いのではないでしょうか?それは自分自身の力不足ということだけが原因なのではなく、思いがけない出来事や周囲の状況の目まぐるしい変化に翻弄されて、思い通りにならなかったということも多くあったからだと言えます。そういう自分にとって、周囲の状況や世の中の動きが、ままならない、どうあがいてもどうしようもない、願っていたことより、そうなってほしくないことばかりが次から々へと起こってくる現実に、「もう、どうしようもない」とあきらめ顔で呟く、そんな思いについ捉えられがちになってしまうのも否めない事実です。

 しかし、この世の現実がどうであれ、また自分の状況が自分の思いどおりにはならない色々な障害に阻まれる人生であったとしても、それは誰にでもない自分にしか与えられていない貴重な日々であり、体験なのだということを思い起こさなければなりません。私たち一人一々が、皆、それぞれ違った環境の中で、皆、自分だけにしか背負えない苦労や重荷を背負って生きているのですから。ただ、この同じ時代、同じ空気を吸って生きている者同士として、私たちは互いに誰かのために自分の存在が必要とされている、そのことを信じられるならば「どうしようもない」現実も「自分がどうにかしなければならない」現実として積極的に生きる力も与えられるのではないでしょうか。

 マリアは神の御子を産むという思いがけない現実に「お言葉通り、この身に成りますように」と答えたとあります。それは、彼女が「神様が無理矢理、自分に押し付けられた運命なのだから、自分にはどうしようもない。もう神様の勝手にしてください。どうせ、わたしのような力も知恵もない人間など神様にはどうされても文句のいいようもないのですから」とあきらめ顔で呟いた言葉などではありません。むしろ驚き戸惑いながらも「自分が神様の御子をこの世に生み出す器として用いられるなら、わたしの人生はそのことだけで誰にも代わってもることの出来ない大事な使命が与えられたということです。どうか、その使命を果たさせてください」そのようにマリアは積極的に自分自身を神様に差し出していったのだと思います。

 確かに、人生には「自分の思い通りにならない」ことの方が多いかも知れません。ただ「自分の思い以上の何かが自分の人生に与えられている」そういう神様からの示しとしてこの「自分の思い通りにならない」現実を受け止めるならば、その中でこそ「お言葉どおり、この身になりますように」とマリアのように、私たち一人一々も積極的に自分自身を何かのため誰かのために差し出していく喜びに生かされていくのであります。イエス様が私たちのために生まれてくださったことを私たちが喜び信じることが出来るように、私たち一人一々も神様によって互いに喜び信じあえる者同士として、何よりも神様の愛と喜びのために生きていける神様の羊の群れとして、主と共に新たな一年「お言葉どおり」信仰の道を歩み続けましょう。
(2014年12月28日週報より)