ファーストスター

 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。(創世記1章3~4節)
               
 ある日見たテレビの科学番組で「ファーストスター」という言葉が使われていました。宇宙が出来た時の最初の光のことをそう呼んでいるそうです。ビックバンという宇宙の歴史の始まりから数えて、およそ130億年という時が積み重ねられてきたと言いますが、そのビックバンから何十億年かかって最初の光が灯った、それがファーストスターなのだそうです。私のような科学に不案内な人間には「ビックバン」も「ファーストスター」も天文学者や宇宙物理学者の人たちの間の専門用語であって、まったくチンプンカンプンの理解不能な内容です。しかし、こういうことまで今の科学は知ることが出来るようになったのですから、人間の知的好奇心とはすごいものだ、と感じざるを得ませんでした。

 創世記の天地創造の物語で神様が最初に創造されたのは光でありました。「光あれ」その一言から世界の創造が始められたと言うのです。これが聖書版のファーストスターと言えるかも知れません。ただ、その天地創造の「光あれ」という一言が発せられるまでには長い闇の時代、混沌が支配する絶望的状況の続く暗黒の時代があったのです。創世記の天地創造の物語は、イスラエルの国家がバビロニア帝国に滅ぼされ多くの人々が捕囚の民として異国へと連れ去られた「バビロン捕囚」の時代に語られた神話でありました。この苦難の歴史を背景にして、いつまでも続くかと思われる絶望の闇の支配も「光あれ」という神様の一言で全く創り変えられていく、そういう希望の光が差し込まれる時が来る、否すでにその光は現れている、そのようなメッセージとして語られたのです。

 あとひと月もしないうちにクリスマスシーズンを迎えます。クリスマスの物語に登場する東方の占星術の学者たちは「ユダヤに新しい王」が誕生することを知らせる星を発見して、その王の生まれるはずのイスラエルの都へとはるばる旅をしてきた人々でした。しかし、その時のイスラエルはローマ帝国の支配下にあり、ローマ帝国の後ろ盾によって立てられた傀儡の王ヘロデが力を振るっていたのです。バビロン捕囚の時代から何百年の長い時が経っても、力によって人が人を支配する闇の時代は続いていました。しかし「光あれ」という神様の一言はその長い長い闇と混沌の続く時を貫いて、この世界に届けられた・・・それがイエス・キリストの誕生という出来事だったのです。私たちの世界の最初の光、ファーストスターとしてイエス様は馬小屋の飼い葉桶の幼子として世に現れたのでした。

 私たちの世界は今もまだ、混沌の闇に支配していると思わざる得ない現実が長く続いています。力によって人が人を支配し抑圧する、そのような現実を私たちはそこかしこで目にし耳にします。しかし、イエス様がこの世界に人として貧しく弱い一人の人としてお生まれになった、その小さな光を心に灯された信仰の群れの歴史は今も暗く長い罪の支配する時代の只中にあって輝き続けていることも事実なのです。信仰の目にはそのファーストスター「光あれ」という神様の一言はイエス様の登場によって実現した、その光はちゃんと届いている、見えているのです。力ではなく愛によって人が人を救い守り導く、その時代を今私たちは生きるのです。
(2014年11月9日週報より)