平和の架け橋

 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイによる福音書6章33節)
                   
 今年の夏は、日本各地で大雨が降り、毎日のようにどこかで川の増水氾濫が起きているというニュースが飛び込んできます。一方、北朝鮮では世界中が反対する中、核開発をやめようとはせず、むしろ今よりも百倍、千倍の核兵器を持つことを宣言し自国の軍事大国化に拍車をかけている現実があります。しかし、おそらくはその核開発のために膨大なお金をつぎこんでいる裏に、自然災害や社会的格差のゆえに多くの人々が飢え、生活の困難さに苦しんでいる現実があるのではないでしょうか?日本でも洪水の被害で多くの人たちが家や財産、また家族を亡くし、生活の復旧も困難を極めている人たちが多くおられますが、そのことに被害を受けていない私たちさえ心痛まざるを得ないというのが率直な思いです。そのような中、どれほどのミサイルや兵器を持っても、国を守るどころか、人一人の命も救うことなど出来ない、それが真実なのではないでしょうか。聖書は「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と告げています。それは「何を食べようか」「何を着ようか」と生活にとって必要な食べ物、衣服を求めること以上に、まず優先しなければならないこととして言われているイエス様の教えです。

 食べ物や衣服が生きて行く上で必要であることはもちろんですが、それでは何のために生きるのか?そこをイエス様は問われているのです。「神の国と神の義」それを知りまたそれを人が生きる目標とし求めていく時に、神様は人間にとって必要なものは「加えて与えられる」ということなのです。その神の国と神の義は、すでにイエス様の十字架と復活によって2千年も前から、この世界に与えられているものなのです。しかし、この世界は自分たちの国や自分たちの義を求め、人間同士が争いあい奪い合うことしかしてこなかった、今もまた私たちの世界は本当に必要なものを求めず、神様の「加えて与えられる」ものすら、ミサイルや兵器に変えてしまっているというのが現状なのです。

 先週、教会から夏休みをいただき、富山に行ってきました。射水という港町に立ち寄り、内川という富山湾に直結する川を遊覧船に乗り巡って来たのですが、その川にはいくつもの個性的な橋が架けられていてそれが観光の目玉になっていたのです。その橋の一つに江戸時代から架けられている橋がありました。その橋の由来は、かつてまだ橋がなかった時代に、大火によって町が壊滅した時、対岸に逃げられず多くの人が犠牲になり、その惨状に心痛めた当時の役人によって造られたものだという説明がありました。橋というのはたんに生活上便利な交通手段であるだけではなく、人の命にとっても必要なものであることをあらためて思わされたのです。イエス様はすべての人の命のため、十字架によって人間の罪を贖い、復活によって私たちに永遠の命の希望を与えてくださった、まさに神の国への架け橋となられたのです。その主イエスの愛こそをこの世界の救いの架け橋として指し示し、国と国、人と人の争い合うこの世界に真実の平和の道を現す喜びある務めを、祈りと行動によって果たして行きたいと願います。
(2017年8月27日週報より)